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2019.08.06

没後170年ピアノ曲の第一人者ショパンと病

1849年に、39歳という若さで亡くなったショパン。2019年はショパンの170年忌ということになります。天才には謎が多いのが常で、そのためにさらに凡人のわれわれは彼らの作品だけではなく生涯にも惹かれてしまうのは当然かもしれません。39歳で早世したショパンの謎は、彼を生涯苦しめた「病気」についてです。

ピアノの世界の第一人者

ショパンの曲は、それとは知らない人が聞いても「あ、これはショパンだ」と認識できる不思議な旋律があります。また、ある研究によればショパンの「ノクターン」は、世界中で最もさまざまなシーンで使用されるクラシックの曲のひとつなのだそうです。
クラシックを聴く、という敷居の高さを取っ払ってくれるような、そんな親しみやすさと近代性がショパンの曲の多くにはあります。

フィギュアスケーターの羽生結弦選手が、ショパンの『バラード第1番』で演技をし、見事にオリンピックの金メダルを勝ち取ったのは記憶に新しいところです。クラシックに詳しくなくても、羽生選手の緩急ある美しい演技とショパンの気品あるメロディーが見事に合致していたことは、衆目の一致するところでしょう。また、透徹したショパンの音楽と、羽生選手の白皙の美青年ぶりがこれまたぴったりと合って、見る人を陶然とさせてくれる演目であったといえます。

ショパンは、クラシックを語る際には欠かせない名前であると同時に、生涯ピアノにこだわり続けた特異な音楽家でした。他の著名な音楽家たちが自身が演奏する楽器にこだわらず協奏曲や交響曲を作曲することが多かったのに対し、ショパンは自分が演奏するピアノを主役に作曲活動を行っていました。
つまり、ショパンの音楽家としての天賦の才は、すべてピアノのために捧げられたといって過言ではないのです。

ショパンの病気をめぐるミステリー

ショパンが生まれたのは1810年。
彼の故国ポーランドは、18世紀から周囲の列強国からの圧力を受けて苦難の時代を迎えていました。
若年からその才能を知られていたショパンは、10代から宿痾の病に悩まされていました。つまり、内でも外でもショパンにとっては困難が多い生涯であったといえます。
しかし、甘さや優しさだけではなく、激しさも秘めたショパンの作品を聞けば、彼がそうした運命を甘受するだけの人ではなかったことがうかがえます。
通説では、ショパンが生涯苦しんだ病気は結核だといわれてきました。しかし、近年の研究では諸説あり、2年ほど前にショパンの心臓を分析した結果、やはり結核である可能性が高かったことが指摘されています。

故国ポーランドを愛したショパンは、死の床でポーランドに葬られることを望んだといわれています。しかし、フランスに亡命していたショパンの遺体をポーランドに運ぶことはままならず、パリのペール・ラシェーズ墓地に葬られました。しかし、ショパンの遺志を尊重した姉によって、心臓だけはポーランドに極秘に運ばれたのです。そのとき、ショパンの心臓はコニャックに浸けられて持ち運ばれました。
ですから、現代の技術を駆使して行われた心臓の調査分析も、瓶詰になったコニャック漬け心臓から行われたのです。死後170年を経た心臓は脆く、瓶から取り出すことは破損する可能性があり、コニャック漬けのまま行われた調査分析であったようです。この心臓は、今もポーランドはワルシャワの、聖十字架教会に安置されています。いっぽう、別の研究によれば生涯の大半を病にむしばまれたショパンの肉体は、最晩年には170センチの身長に40キロほどの体重であったのだとか。壮絶な闘病の様子をうかがい知ることができます。

心臓のないショパンの遺体が埋葬されたパリの墓は、毎日彼に花を捧げるファンたちが絶えません。作家のオスカー・ワイルドやロッカーのジム・モリソンの墓に囲まれて、ショパンの心臓のない肉体は音楽活動の大半を行ったフランスに残されているのです。

10歳にならずして明らかになった才能と病気の萌芽

39歳の寿命しか持てなかったショパンは、神の配剤か幼少期から突出した才能をあらわします。7歳で初めてのポロネーズを作曲、瞬く間にワルシャワで高名になり、19歳でウィーンで初演、大成功をおさめます。22歳からパリにわたって、その後の主な活動はパリを中心に行われました。
早熟の才とともに、若年から明らかになったのが病の予兆でした。言い伝えによれば、9歳のころすでにたちの悪い咳に悩まされていたそうです。この伝承が正しければ、ショパンは物心ついてまもなく、病と向き合い続けることを余儀なくされたことになります。

唯一無二の音楽

こうした境遇が、ショパンの作品にはどのように反映されたのでしょうか。
ピアノ一辺倒であったことに加え、当時の音楽界のお偉方からみるとショパンの音楽は、「異例の新しいもの」であり唯一無二のスタイルを持っていました。私生活は決して暗いものではなく、パリではドラクロワをはじめとする一流の芸術家と昵懇になり友情に恵まれ、女性にも非常にモテたようです。なかでも有名な恋が、年上の「男装の麗人」ジョルジュ・サンドでした。
しかし、奥の深さを感じさせる悲しみ、天上の魂のようなと表現されるショパンの音楽は、日常的に彼を苦しめていた病とは無縁ではなかったでしょう。また、肉体が病に侵されていただけではなく、こうした環境や境遇のためか鬱状態になることも珍しくなかったそうです。愛する故国を他国に踏みにじられ、常に病苦と戦わざるを得なかったショパンの人生。

作家の塩野七生氏は、著作の中でこのようなことを書いています。

「すべての面で苛酷な現実の中でも精神のバランスを失わないで生きていくのは、苛酷な現実とは離れた自分一人の世界をつくり出せるかどうかにかかってくる」

余人には計り知れない苦しみを抱えたショパンは、ピアノに現実とはかけ離れた純で高貴な自身を見出したのかもしれません。

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