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2019.12.24

ピアノに心酔したことから始まった新しい音楽、世界的な評価を得る現代音楽家「武満徹」

演奏家ではなく、作曲家として世界に名をはせる日本人はいるのでしょうか。
戦中に多感な時期を過ごし戦後に活躍をした武満徹は、日本人が思っている以上に世界中で評価されている作曲家です。
彼は運命的な音楽の出会いの当初から、ピアノを心から愛し心酔していました。
武満徹の音楽とは、どのようなものでしょうか。

武満徹の音楽とは

決定的になった戦中の音楽との出会い

1930年生まれの武満徹は、15歳で終戦を迎えています。
終戦直前、彼は蓄音機(冒頭の写真)で偶然耳にしたシャンソンの音楽に大きなショックを受けました。戦争によってそそけだっていた武満の心を、そのピアノと歌声は「時と空間をこえて充分なやさしさ」で包み込んでくれたとのちに彼は語っています。

戦後、病に伏した武満が求めたのも、ラジオから流れるクラシック音楽でした。
セザール・フランクのピアノ曲「前奏曲、コラールとフーガ」を耳にした武満は、演奏家ではなく作曲家になることを心に強く誓ったのです。

相いれなかった学校教育と独学への道

15歳という多感な時期に終戦を迎えた武満は、180度転換した学校教育に不信を抱いていたといいます。
ピアノに憑かれたとはいえ武満は貧しく、自分のピアノをなかなか手にすることができませんでした。
職を転々としながら、ラジオやコンサート、楽譜、そして職場のピアノを頼りに、独学で作曲を始めるのです。
家族には理解されなかったものの、18歳になったころ武満には音大に進むチャンスがありました。
しかし、作曲とは学校教育で学ぶものではないと武満は確信していました。どれだけ音楽を愛しているか、内面に耳を傾けてそれを音にすることが、作曲の真髄だと信じていたのです。実際、ヨーロッパでは武満の音楽を「沈黙と向き合う音楽」と称えています。
学校には進まなかった武満ですが、彼の卓越した情熱と才を理解する作曲家や仲間には恵まれました。
武満の音楽は、異例の新しいもので当時の多くの人にはわかりにくいものでしたが、彼は決して孤独ではなかったのです。

処女作もピアノ協奏曲

10代で武満が発表した処女作は、ピアノ協奏曲「二つのレント」でした。
10分ほどのこの曲に理解を示した人は、当時はごくわずかでした。
しかし武満は、彼を理解し愛する友人たちとともに独自の道を進む決心をするのです。
その交友関係は、音楽にとどまらず劇作家や批評家、映画監督などの芸術家へと広がっていきました。
武満があれほど切望したピアノも、彼の情熱を認めた偉大なる作曲家黛(まゆずみ)敏郎(としろう)によって贈られたのです。
また、世界的な評価を受けた映画『七人の侍』の音楽を担当した早坂文雄の後援を得たことも、武満にとって大きな慰めでした。この恩師の死をきっかけに武満が作曲した『弦楽のためのレクイエム』が、思わぬ契機を生み出したのです。
来日した世界的な作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキーがこの曲を高く評価し、武満の名が一躍知れ渡ることになったのでした。

演奏経験はピアノとバイオリンだけ、それでも交響曲を作曲

学校教育を拒否した武満にとって、触れるものすべてが教師であったのでしょう。
彼の貪欲な知識欲は、会う人や触れるものをすべて新しい音楽へと昇華していくパワーがありました。
20代で「実験工房」というグループを様々な分野の若手と結成した武満は、自身はピアノとバイオリンしか演奏したことがなかったにもかかわらず、オーケストラが演奏する交響曲を作り上げていきます。
やがて、武満の耳はラジオやコンサートなどの音楽だけではなく、混とんとした世の中の音や自然の音にも向けられていきます。
それが、戦後に急速に成長したテクノロジーと融合し、武満独特の世界を作り出していったのです。

映画音楽と武満徹

また、自身が大変映画好きであることが幸いし、武満は映画音楽の分野でも活躍するようになりました。石原裕次郎主演『狂った果実』には、武満の名を見ることができます。
その後も、黒澤明、市川崑、大島渚など、世界的な名声を持つ監督の作品の音楽を担当しました。
正規の音楽教育を受けなかった武満の音響は、非常に斬新で映像にマッチしたのです。
現代音楽の担い手として、30代から武満は一気に坂道を駆け上ります。

日本の伝統音楽と西洋の融合

戦前の文化や思想を完全に拒否することから始まった武満のキャリアですが、30代を迎えて活動が充実してくると、彼は日本の伝統的な楽器を重用するようになりました。
オーケストラに使われた尺八や筝は、小澤征爾やバーンスタインなどの音楽家に拍手をもって迎えられました。オーケストラにこうした日本古来の楽器が加わることは、当時は斬新で大胆な試みでした。
武満を、「世界のタケミツ」たらしめた代表作『ノベンバー・ステップス』は、日本と西洋の音楽を融合させるべく武満が格闘した末に生み出した作品であったのです。

ピアノで弾く『マタイ受難曲』から始まる武満の作曲活動

その後の武満は、晩年まで多くの交友関係、受賞、栄誉に恵まれ続けました。
自身の内面と向き合うという作曲活動は終生変わらず、また若き日の自分を顧みて後進の後援にも熱心でした。
世界をまたにかけるようになった武満でしたが、作曲活動は日本の大自然の中にある山荘でしかできなかったそうです。疲れを感じると、森の中の音や鳥の声に耳を傾けインスピレーションを得ていたのです。
そして、彼はどんな曲を作る前にも、まずピアノでバッハの『マタイ受難曲』の一節を弾くのを常にしていました。
亡くなる少し前にも、『マタイ受難曲』を聞いて天国に旅立ったのだそうです。
世界のタケミツと呼ばれるほど世界的に評価が高かった現代音楽家の武満徹、その根底にはピアノを求め続けた無垢な少年がいつもたたずんでいたのかもしれません。高尚な音楽理念ではなく、純な魂ゆえに生まれた音楽は映画やドラマの中でも私たちの心を打ちます。
現代音楽という前衛的で理解の難しい分野でも、武満の音楽は私たち日本人の心に一滴の清涼な水をしみこませてくれるような、癒しとなっているのです。

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